2009-02-20 第171回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第2号
残念ながら、そういった精神そのものが忘れ去られている一面もあるのかなということを感じておりまして、昭和初期の世界経済恐慌と現在の世界的なアメリカ発の同時不況を比べてみる中で、改めて国家にとっての中小企業支援の理念というものをしっかり明確にしていく。
残念ながら、そういった精神そのものが忘れ去られている一面もあるのかなということを感じておりまして、昭和初期の世界経済恐慌と現在の世界的なアメリカ発の同時不況を比べてみる中で、改めて国家にとっての中小企業支援の理念というものをしっかり明確にしていく。
政府は、日本発の世界経済恐慌は起こさないというかたい決意のもと、公共事業や特別減税を中心とした事業規模十六兆円を超える総合経済対策を既に実施し、さらに、十兆円を超える第二次補正予算と六兆円を超える恒久的減税の実施を内外に公約しているところであります。
学者の中には五十年前の世界経済恐慌は陥るのではないかというふうに構造的にいまの経済を見る人もいるようでございますが、これは私どもはとるべきではない。やはり第一次石油、第二次石油ショックを中心とする影響がいま循環的に世界先進国経済の中に忍び寄っているものであろう。
まだまだ世界経済恐慌がまた来るのではないかというような論説が見られるように、この点も私どもは大変心配な要素ではありますけれども、私どもの見るところは、やはり循環的な第二次石油ショックを完全に克服できないところが大きな原因となって今日の経済の低迷を招いていると思うわけでございます。
そこで、そうなったら大変だからというので、かつて世界経済恐慌のときにイギリスのヤクドナルド内閣を揺さぶってナショナルレーバーへ分解さしたときと同じような形でこのフランスのミッテランを手も足も出ないようなことにしなけりゃならぬというような次の総選挙の構えが、金融資本なりあるいは大企業においてなされているのじゃないか。
○戸叶武君 私は、五十一年前に、ドイツとポーランドから食糧暴動なり革命が起きるのではないかというので、世界経済恐慌のときに、単身、レイモントの「農民」、ノーベル賞をもらったあれをふところにして、十二月にポーランドに飛び込んだときを回想して、ポーランドの人々ほど自然の残虐と民族が八つ裂きにされた悲劇を繰り返した人々はないと思いますので、答弁は要りませんが、ポーランドの民衆の苦悩のことをわれわれは理解し
○戸叶武君 私は幾たびか中近東を訪れたことがありましたが、この間欧州議会に招かれての帰途、地中海沿岸における古い文化を持つエジプトと、かつてのハンニバルの根拠地であったカルタゴを見たいと思って見てまいりましたが、中東におけるエジプトは、一番最初に行ったときは世界経済恐慌が襲ってきた一九二九年の二月でしたからいまよりちょうど五十一年前のことであります。
国民がいかに憤っているか、発火寸前にあるということを予告して、それでもわからないやつはくたばってしまえというふうに言葉で言うと荒っぽくなるから慎むけれども、私は、あの世界経済恐慌前後の、いまから五十年前前後の、政治に絶望し切って、そうしてわれわれが想像しないような嵐が、突風が起きたときの前夜と同じような不気味さをいまの日本に感じているのであって、条件が具備したところにマッチ一つ火をつけるとすぐ爆発するような
私は第一次世界戦争と第二次世界戦争の暗い谷間の時代の世界経済恐慌の時代に、若いときにイギリスでそれを経験しましたが、オールドソーシャリストはこれに対応するだけの政策を持ち合わせなかったのか事実でございます。
いまから五十年前の昭和四年から始まった世界経済恐慌のあらしの中に、浜口さんも井上準之助さんも犬養さんも、皆殺されていったじゃありませんか、こわいです。いま血を呼ぶような憤りが民衆の中に充満しております。これはエネルギーの問題よりも深刻です。官僚は聡明です、政治家は老練です。
あの世界経済恐慌の中に浜口さんなり、井上準之助なり、犬養毅でも相当な人物であったはずですが、重大なときに金本位制というようなことにこだわり過ぎて、日銀官僚なり大蔵官僚の古い一つの通貨政策なり基軸通貨に対する構想なりから出ていけなかったから、かえって統一のない、大衆の支持を受けないような形で自滅していったと思うんです。
それはそれで福田さんなりの受けとめ方で結構ですが、園田さん以外に、外務大臣は一人ですが、私は、前に、外務大臣はやっぱり三人ぐらいいないと体がもたないぞと言ったが、とにかく園田さんが正式の外務大臣であると同時に、宮澤さんとか牛場さんとか、外務大臣の左右の翼のようなものも備えられて、なかなか味のある内閣構成をいまやっておりますが、この狂乱怒濤の変革の時代、それは若き日に福田さんが受けとめた一九二九年以来の世界経済恐慌
社会主義の先達であったマクドナルドなんかも、第一次世界戦争に直面しては戦争反対を叫んだ人だが、世界経済恐慌の中にナショナルレーバーをつくって、わけのわからない超党派内閣をつくって、あの中へ埋没してしまいました。スノーデンのように社会主義政策を堂々と国会で表明した人も、マクドナルドとともに埋没してしまったのであります。
○戸叶武君 まず、一九二九年の世界経済恐慌よりも深刻と思われるこのスタグフレーション時代のあらしの中に突入した際に、鳩山外務大臣が外務大臣の重任を果たさねばならないということは、その御苦労のほどに敬意を表します。
この会議は、明らかに現在の世界の経済並びに政治の行き詰まり打開を目指しての先進国首脳者の話し合いの会だと思いますが、こういう試みがすでに一九二九年、三〇年の世界経済恐慌、三二年の金融恐慌のあのあらしの頂点において、一九三三年、いまから四十二年前に六十七カ国が参加して開かれた国際経済首脳会議、世界経済の危機打開をテーマとする点において今回と類似しておるのでありますが、あの会議は、全くその意図に反して完全失敗
確かに、昭和四年の世界経済恐慌のもとに、日本の国民の多くは経済危機の中に苦しみました。そしてまた他方、総理もよく御存じのように、当時の政財界の上層部においては、売勲事件、鉄道疑獄、朝鮮疑獄というような政治の腐敗が相次いだのであります。 その当時は濱口民政党内閣でありましたけれども、濱口首相が東京駅頭に倒れまして、そのあと若槻内閣になり、続いて反対党である政友会の犬養内閣ができたのであります。
私は、ちょうど一九二九年の世界経済恐慌のときに、恐慌の幕が打って落とされる前における、マンチェスターにおける二百日ほどの長いあの繊維のコトン・インダストリーのストライキを現地に行って見ましたが、そのときに、やはりイギリスの経済学者の、私の恩師のトーネー教授も問題にしているのは、後進資本主義国といわれているけれども、日本のたとえば紙パルプの生産あるいはこの繊維、そういうようなものの企業を見ると、はるかに
一九二九年の世界経済恐慌と一九三二年の世界金融恐慌の時代、あのあらしの時代私はヨーロッパにおり、日本にも帰ってきましたが、多くの人は非常に身近な危機感だけをつかまえて、石油の問題はメジャーとうまく裏でキッシンジャーとニクソンも話しているだろうからこれは片づくよと、石油の問題は片づくでしょう。
私はこれは、あなたは学者ですから見ていると思いますが、一九一九年の米騒動が起きたときの問題、恐慌現象、恐慌でも何でもない、要するに買いだめ売り惜しみにおける食糧暴動、一九二九年の世界経済恐慌が起きたときにおける、ケインズが登場した前後における、古いタイプの社会主義が崩壊して、エアハルトとかスノーデンとかあんな古ぼけた社会主義は通用しない、社会主義財政家としてのエアハルトもスノーデンも破産した、そういうときに
倉石さんは一九二九年の世界経済恐慌のあらしの時代、われわれと同じくイギリスにおったはずです。あの苦悩を体で受けとめておるはずです。イギリスはそれまで安閑と暮らしておったが、古い社会主義が音を立てて崩壊して、リベラルな社会主義はケインズなりクリップスの登場によってイギリスの労働党の体質を変えていったんです。それは何か。
私が当初に大正八年、五十三年前の米騒動のときを思い起こさせたのは、足立さんもまだ子供の時代でよく記憶していなかったかもしれませんが、それ以上にやはり深刻であったのは、昭和四年から五年の世界経済恐慌を背景として昭和八年の農村の私は、危機感だったと思います。